2015年 10月 04日
入院していた。友達死んだ。
何かあったら連絡するように先生から言われてたので、連絡したところ、すぐ救急車を呼びなさいの指示だった。
まだ意識がはっきりしてるのに救急車を呼ぶのは申し訳ない気持ちで一杯だったが、119番に電話すると、すぐに「ああ、⚪️⚪️さんちの隣の⚪️⚪️さんね」と常連の扱い。
すぐに救急病院に運ばれて手当てを受けて、その足で精神病院に行くように言われ、行きつけの精神病院まで旦那の車で行った。
記憶があるのはここまで。
気づくと保護室に隔離で閉じ込められていた。
自殺未遂なんで私は意識が戻ればすぐに退院できると思っていた。
ところがどっこい、一ヶ月の入院が必要との判断が下された。
医療保護入院なので、旦那が退院させたいと言っても先生がオーケーを出さなければにっちもさっちもどうにもブルドッグだった。
私は抵抗して暴れた。すると「⚪️⚪️さん、拘束ね〜」と拘束されてしまった。
頭にきた私は2週間食べ物を食べず、服薬も拒否して、点滴と筋肉注射で過ごしていたが、経済的に反抗にも限度が来て、食べて服薬して早く拘束を解かれる必要に迫られた。不本意だったが病院の思う壺になった。反抗した2週間は無駄になった。ただ筋注の痛みだけが腕に残った。
拘束を解かれてからの私は順調で、医療保護から任意になり、即ショート外出が出て、外出も外泊も単独オーケーをもらえて、1日に退院を決めるケースワーカーと先生と旦那と私の面談をして、退院は6日の10時に決まった。いやぁ〜、めでたい。
しかしこの間ショッキングな出来事が私を襲った。大好きだった友達をODで亡くしたのだ。
いつもはツイキャスとかで死ぬ死ぬ騒ぐ彼女。その度に止める私たち。でも騒いでいてくれるうちは良かった。
今回は、フェイスブックとツイッターに大量の薬の写真を載っけて「ちょっと逝ってきますね」の一言を残して本当に逝ってしまった。静かな死だった。
済んだことをどれほど後悔しても仕方ないけど、今になってみれば、ただ言葉だけで止めるだけじゃなく、彼女の住所や本当の電話番号を知ってる人たちに協力を仰げたんじゃないかとか、入院してなければ絶対死なせなかったのにとか自責の念ばかりが襲う。
私は今本当に心の底から悲しい。私は変な意味じゃなく彼女を愛していた。大好きだった。一緒にいると楽しくて楽しくて仕方なかった。もうそれが叶わないのだと思うと本当に悲しい。
生前彼女が行きたがっていた靖国神社の参拝を退院して落ち着いたら友達と行こうと思う。
今はただ彼女の冥福を祈るばかりだ。
by checkpen
| 2015-10-04 01:48
| らりぱっぱ♪らりぱっぱ♪